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第5窓

第5窓
われらの救いのために天より<だり、聖霊によっで、おとめマリアより御からだを受け、人となられたイエス・キリストを信じる。

この窓は、神の子が体を受ける神密を表現しようとしている。聖母マリアは、「[ . . . ]満ちあふれる神性が、余すところな<、見える形をとって宿って」(コロ2 章9 節)。いる人を生むように選ばれたのである。神の唯一の子として生まれた彼女の子は「キリスト」、つまり聖霊に油注がれた者である。キリストのすべての人生は、「神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました」(使10 章38 節)。ことを証明している。キリストがヨルダン川で洗礼を受けたとき、「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来て、『あなたはわたしに愛する子、わたしの心に適うもの』という声が、天から聞こえた。」(ルカ3 章2 2 節)。それは、イスラエルのメシアと神の子としてのイエスの自己啓示である。神の受肉を告白するには、人間は信仰の目を必要とされる。盲人を癒すことやダマスコへ行く途中の聖パウロの幻などは、そう言った「特別な視力]、つまり信仰のシンボルである。「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、」(ヨハ1 章14 節)とある。

1 ・2 、その神秘的な花を見た人がいない羊歯。目は信仰を象徴している。

3 、聖霊による聖母マリアの受胎。

有名な画家Fra Angelicoの壁画をテーマにしている。

4 、ヨルダン川でのイエスの洗礼者。

洗礼者ヨハネとキリストは、ユダの砂漠に喩えられている岩や丘に囲まれている。左側には、キリストの普難を予告する羊が見える。

5 、ダマスコへ赴く若き聖パウロは、岩に囲まれで自分の見えない目を手で隠している。

仲間たちは恐れている馬を押さえている。十字架に架けられているキリストが光を浴びながら雲から現れてくる。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハ9 章39 節)。

6 、生まれつきの盲人を癒すイエス。

上部には曲がりくねる道や、赤の部分にはレンブラントの有名な絵を喩えるエマオでの晩餐。「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えな<なった。](ルカ24 章31 節)。

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