カトリック神田教会

St. FRANCIS XAVIER CHURCH

ステンドグラス 第10窓

第10窓
主なる聖霊、生命の与えぬしを信じる。
聖霊は父と子とより出で、父と子とともに拝みあがめられ、また予言者によりて語られた。
2 、聖霊を象徴している水中に炎。
3 、聖霊降臨。
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、教なたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハ14 章26 節)。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、《霊》が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使2 章3- 4節)。ステンドグラスの下の暗い部分には、バべルの塔がある。「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。[. . . ]彼らは、『さあ、天まで届<塔のある町を建て、有名になろう。[. . . ]主は降ってきて、[. . . ]言われた。『 直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』 主は彼らをそこから全地に散らされた[. . . ]。」(創11 章1- 8 節)。この両方の場面[つまり聖霊降臨とバべルの塔]は、神を無視して建てること(バべルの塔)が弱く、神と共に建てること(教会)が強いということを対照している。各使徒が浴びる別々の火の粉と、使徒が以前バべルから散らされた世界の「すべての民族」に向けて使っている言葉とは、教会造りにおける人と神、そして人間同士の本当のコミュニケーションである。そういう風に造られた教会は、バべルの町と違って、神の愛や自由の共同体である。
4 、中世の中東ヨーロッパの伝統による、父と子に囲まれている聖霊。
5 、知恵の都として表してある鳩と聖母マリア。
「わたしはいと高き方の口から出て、霧のように大地を覆った。わたしは高い天に住まいを定め、わたしの座は雲の柱の中にあった。」(シラ24 章3- 4 節)。
6 、旧約の四人の大予言者(イザヤ、エレミヤ、エゼキ工ル、ダニエル)と四人の福音者。
福音者を背負っている予言者たちは旧約と新約の一体化を象徴している。

窓の配置

戻る

バナー
バナー

本日の福音

  • 2017.03.29

     [そのとき、イエスはユダヤ人たちにお答えになった。]「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。《このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

    はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。《(ヨハネ5・17*30)

  • 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

新着情報

過去の新着情報